キウス周堤墓群の発掘に関わった方々を探しています!
ページ番号1006557 更新日 2026年4月30日
令和8年(2026)年は昭和満100周年ということで、キウスの昭和期の発掘調査に関わった方々に焦点を当てた企画展「キウスのヒト-昭和の発掘に携わった人々-(仮)」を夏に開催します。
そこで千歳市埋蔵文化財センターでは現在、キウス周堤墓群の昭和期の発掘に関わった方々を探しています!
昭和期の発掘調査に関する情報を、千歳市埋蔵文化財センター(電話0123-24-4210、FAX0123-21-9301)へお寄せください。
中央地区にある「史跡キウス周堤墓群」は、令和3年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されました。キウスが「縄文時代のお墓」であるとわかったのは、昭和期に行われた発掘調査の成果によります。キウスが日本、そして世界に誇る縄文時代最大級のお墓として名を馳せることができているのは、かつてキウスに関わった方々が、地面に残る巨大な凸凹を無下にせず、調査し、記録し、歴史上大事なものとして大切に残してきてくれたおかげです。
当時の発掘の様子を直接お伺いし、記録させていただき、企画展を通して市内外の皆様にキウスの足跡を知ってもらいたい―。キウスの発掘に関わった方の生の声は、大変貴重な記録であり、市の歴史を語るうえでも欠かせない財産となります。未来へ向けてキウスの記録を保存、活用していくために、今皆様のお力が必要です。
キウスの足跡
1917(大正6)年:第1次調査。北海道庁技手たちによる遺構実測と発掘調査。
1935(昭和10)年:第2次調査。測量調査。
1949(昭和24)年:第3次調査。千歳市在住の長見義三氏が試掘調査。
1964・1965(昭和39・40)年:第4次調査。北海道大学の大場利夫氏、千歳市中央小中学校校長の石川徹氏を主導とする発掘調査。←この発掘で「縄文時代の墓」であることが実証!
1965(昭和40)年:国道337号の道路拡幅工事で4号周堤墓脇の土坑墓1基を確認。
1978(昭和53)年:奈良文化財研究所による測量調査。
2013~2017(平成25~29)年:千歳市教育委員会の発掘調査。14号周堤墓発見
第4次調査について
1950(昭和25)年、キウスから南へ2km離れた畑から石柱が発見され、中央地区北海道帝国大学教授だった河野広道がキウス7号周堤墓(史跡外)の土坑墓1基を調査しました。河野自身は1949(昭和24)年に斜里町の朱円栗沢遺跡を調査し、縄文時代の墓「環状土籬(周堤墓の別名)」を発見していたため、7号周堤墓も同様の墓であると判断しました。
この調査結果を受けて、1964(昭和39)年に北海道大学医学部講師の大場利夫氏と千歳市中央小学校校長の石川徹氏によって、キウス地区にある巨大な土手の上と内側(1号周堤墓・2号周堤墓)の調査が行われました。発掘には、千歳市文化財調査委員、千歳高等学校と中央中学校の教師や生徒、陸上自衛隊第7師団、千歳市中央小学校PTAなどの方々が携わられたようです。
発掘調査では、キウスの土手の上に約2500年前に降灰した樽前山の火山灰が堆積しており、キウスの土手が約2500年前より以前、縄文時代に築かれたものであることが分かりました。1号周堤墓で5基の土坑墓、2号周堤墓で1基の配石墓が見つかったほか、縄文時代終わり頃の土器、石器、土偶なども見つかりました。
前列中央が大場利夫先生
調査区中央付近に配石が見える
1号周堤墓から3号周堤墓間のトレンチ