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千歳神社境内釜加神社弁財天御厨子

市指定有形文化財:昭和52年4月23日指定

かつて千歳一帯はアイヌ語で「大きなくぼみ」という意味の「シコツ」と呼ばれていました。文化 2 (1805)年、シコツ場所担当の箱館奉行調役並山田鯉兵衛嘉充が箱館奉行の羽太正養に新しい地名を付けたいと願い出ました。そこで当時シコツにたくさんいた鶴にちなみ、「鶴は千年」の「千年」をとって「千歳」と改名されました。その由来が弁財天を収めていた厨子の後ろに次のように記されています。

 


 

あきらけき御代の御ひかりは、至らぬくもなく、こさ吹(く)蝦夷が島までも御恵(み)をかしこみ、たびまつる事になん。その島のうちに、ゆふつてふ所に、しこつ河となんいへり川有(り)、この河何とやらん、とのふるひびきのよからねば、山田嘉充が云うよりて、それは鶴のあまたをり居る所なれば、千と世河ともいうべきやなと、たはぶれしに、夫(れ)なんよかめりとて、嘉充其(の)河のほとりに弁財天を勧請し、なお其(の)ことのあらましをしるさまほし、というにまかせて、遂に禿筆とりてつたなき言の葉かきつけ待るものなるかし。
  末ひろきめぐみもしるし河の名の千とせをかけてしむる宮居は

干時文化二年乙丑春三月
従五位下藤原朝臣正謹誌

 


 

 

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千歳神社境内釜加神社弁財天御厨子写真

 

厨子背面に書かれた由来文写真
厨子背面に書かれた由来文

 

 

 

見学

 

複製品を千歳市埋蔵文化財センターに展示しています。
実物は公開されていません。

 

 


 

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