みんなで生き生き活力創造都市

千歳市
City of Chitose

北海道千歳市公式ホームページ
- City of Chitose

サイトマップ
ホーム市の紹介市の概要歴史歴史散歩ちとせ

歴史散歩ちとせ

シコツから千歳へ

  札幌低地帯と勇払原野の間に位置する千歳は古来から太平洋側と日本海側をつなぐ交通の要路で、江戸時代にはシコツ越え(千歳越え・ユウフツ越え)として知られています。
  市内には千歳川を中心に大小の河川が40本以上流れ、その流域には旧石器時代から近世に至る約300か所の遺跡があります。その中でとりわけ重要な遺跡としてウサクマイ遺跡群(縄文早期から近世まで)や、世界文化遺産の登録を目指しているキウス周堤墓群(縄文後期)が国の史跡に指定されています。また、出土品では美々4遺跡の「動物形土製品」(縄文晩期)、ママチ遺跡の「土面」(縄文晩期の土製の仮面)、「北海道美々8遺跡出土品」(主に近世初頭のアイヌ文化の木製品)が国の重要文化財に指定されています。

  千歳地方一帯を指す「シコツ」(アイヌ語で大きな凹地)という地名が文献に最初に現れるのは万治3 (1660) 年の 『福山秘府』 といわれます。 その後シャクシャインの戦いや将軍や大名が珍重したタカの捕獲地についての記述に「志古津」(シコツ)が登場します。
  この一帯にはアイヌと和人がサケなどの産物を交易する場として十六の場所(シコツ十六場所)があり、江戸時代後期にはユウフツ場所に編入され千歳川会所が置かれました。
  会所名になった千歳川の旧名はシコツ川ですが、当時、ユウフツ場所を担当していた箱館奉行調役並山田鯉兵衛嘉充(やまだりへいよしみつ)が、シコツという音の響きが悪いので新しい川の名を付けてほしいと初代箱館奉行の羽太正養(はぶとまさやす)に願い出ました。そこで羽太は、シコツの地に多くの鶴が生息していたことから「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなんでシコツ川を千歳川に改名しました。文化2(1805)年のことでした。これが「千歳」という地名の原点になりました。このいきさつは、釜加神社の弁財天を安置していた厨子(ずし)と羽太が残した『休明光記』に記されています。

釜加神社御厨子

千歳神社境内釜加神社弁財天御厨子
背面に改名の由来が記されている(左 正面、右 背面)

箱舘奉行羽太正養
箱館奉行羽太正養
『北海道大百科事典』より

  明治2(1869)年、国郡設置となり、胆振国千歳郡に属し、同年土佐高知藩の支配地を経て、5年開拓使の直轄になります。13年に苫小牧村の勇払外五郡郡役所の管轄下となり、千歳に千歳郡千歳村外五ヶ村(現在の千歳市・恵庭市)戸長役場が設置されます。
  シコツ越えで知られた内陸交通路は6年に開通した札幌本道(現在の国道36号)の一部となり、千歳は街道の宿場町として栄えます。

最後の千歳越えをした小樽ホタテ船団
最後のシコツ越えをした小樽ホタテ船団
大正6年10月

  17年には山口県から農民団体が入植します。20年頃千歳川下流域が千歳原野として120万坪、漁川と長都沼の間が長都原野として200万坪がそれぞれ殖民地選定され、27年に単独移民188団体、団結移民2団体が入植しました。29年ケネフチ川流域の189万坪が殖民地に選定され、開拓が進展されていきました。
  21年、北米の視察を終えサケの産卵事業の適地を探していた北海道庁の伊藤一隆は、現在千歳さけます事業所のある場所に湧水を発見しふ化事業を開始します。29年、千歳川に設置された捕魚車(通称インディアン水車)は北米視察により導入されました。

 村民の夢

  明治25年、北海道炭鉱鉄道が室蘭~岩見沢間に開通すると、札幌本道の往来は日に日に少なくなっていったと伝えられています。
   大正15年、北海道鉄道によって苗穂~沼ノ端 間の鉄道が開通。
  この鉄道を利用して小樽新聞社主催のふ化場見学会と観楓会に200名が10月17日千歳を訪れることになりました。 新聞社は、村に昼食の応援を依頼し、購入したばかりの飛行機をお礼方々に千歳の上空に飛来させることを説明しました。
   飛行機を見てみたい。それも上空を飛ぶのではなく、着陸した機体を間近に見てみたい。村民が一致して着陸場の造成が決まりました。村民が2日間、延べ150人が参加して整備された着陸場が千歳飛行場の始まりとなりました。観楓会当日の10月17日は雨天のため飛来は延期され、10月22日、午後1時15分、村民は歓喜で「北海」第 1号を迎えたと伝えられています。

千歳飛行場起工手拭
千歳飛行場起工日本手拭
飛行場竣工を祝い全村に配付された

北海第1号機

北海第1号機

   昭和14年、1200メートルの滑走路が整備され、配置機数48機の千歳海軍航空隊が開隊されました。航空隊の配備により人口の増加が続き、17年に「千歳町」に昇格します。

町から市へ

  終戦後、米軍が接収・使用していた千歳飛行場に、昭和26年、民間航空が再開され、これにより千歳は北海道の空の玄関口の地位を確立します。63年には民間航空が分離、新千歳空港が開港し、現在3000m級の滑走路2本を有し、国内外43路線、年間乗降客2045万人(平成27年実績)と国内有数の空港になっています。

新千歳空港の画像
新千歳空港

  29年に陸上自衛隊の、32年には航空自衛隊の駐屯地・基地が設置され、その後の千歳市の発展を支え、同33年に市制が施行されています。
  39年に新産業都市に指定され、道内初の市営工業団地となる第1工業団地、第2工業団地を造成し本州の大手資本が工場を操業させています。その後第3・4工業団地、泉沢に臨空工業団地などを造成、道内有数の工業都市になりました。
  平成に入り、最先端分野の一つ光科学技術を専門とする千歳科学技術大学や市民病院の新設、千歳駅周辺整備事業など都市基盤整備が進み、道央の中核都市として発展を続けています。

飛行機

 

カテゴリー

お問い合わせ

総務部 主幹(市史編さん担当) 主査(市史編さん担当)

電話:
0123-24-3131